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BIG BATHING WOMAN

2014. 06. 18. Wed.

学校の図書館で借りたピカソの画集の貸出票には恐らく僕の名前しか記入されていなかった筈である。
と言うのも、借りては返し、返しては借りて、雨の日も、風の日も、晴れの日も、とうとう高校時代の三年間、肌身離さず常に持ち歩いていたからだ。つまり全校生徒の中で、僕があの画集を独占していたことになる。
いつでもどこでも画集を開いては食い入るように眺めた。
特に好きだったのは授業中だった。
何度も先生から叱られたけれど、実は何故怒られるのか理解できなかった。
本を読むことは良いことなのだと思い込んでいて、例え授業中であっても許されることなのだと信じていた。
さらに授業中は教壇の声とチョークの筆記音が気持の良いBGMになって、
辺りがシーンと静まりかえっていたので、休み時間に読むよりも大変集中できた。画集は広げると机の天板を占領してしまう大きさで、よくやったのは、足を組んで、平らになった部分に画集を置いて眺める方法だった。こっぴどく先生に叱られて以降は、そんな工夫と配慮を心掛けた。
「PABLO PICASSO 天才の生涯と芸術」(旺文社)という画集で、ニューヨーク近代美術館編集のものだった。
少年時代のデッサンと青の時代から晩年までの絵画や彫刻、陶芸など充実した図録と各時代を説明した文章と豊富な写真で構成されていて、時代背景や交友関係、女性遍歴といったピカソの全人生が投影されていた。その一冊に僕の青春時代と現在を形作った全てがある。
余談だが画集は、同美術館でピカソの大回顧展が開かれた翌年に発行されている。一九八〇年に美術館では先例のない約一、〇〇〇点もの作品を展示した「ピカソ展」は後にも先にもこの展覧会のみである。この画集はその回顧展で展示された作品を掲載し編集発行されたものだと思う。横尾忠則がグラフィックザイナーから画家になることを決意したのもこの展覧会を観た会場だった。
高校三年生の頃だったと思う。
いつものように授業中にその画集を眺めていた。特にその頃は、ピカソの新古典主義時代に描かれた絵がマイブームで、その代表作「大きな浴女」が好きだった( 写真右の絵 )。しかし、その日、この絵の違う鑑賞の仕方を発見した。それは「大きな浴女」の右下の辺りに空気が溜まっているような気配を突然感じたのだ。僕は思わず組んだ足を戻し、画集を鼻の所まで持ち上げて思いっきり吸い込んでみた。するとどうだろう、絵の中から澄んだ空気が肺一杯に入って来たではないか。それはひんやりと引き締まっていて、実に開放的で新鮮な空気だった。さらに教室まで漂っていたキンモクセイの香りが潤滑油になって全身に染み渡るような感覚を覚えた。以来、ピカソが描きたかったのは巨大な裸婦像でなく、透明な空気だったのだと考えるようになった。

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