THIS DESIGN

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2019. 11. 05. Tue.

 

デザインは極めて個人的な「気持ち」が形にでる。
Nidoのロゴを提案する時に改めてそう感じた。

相手の考えをよく聞き、咀嚼して、そして、デザインを立ち上げていく。その時、僅かだけど(いや、かなりの量かも…)個人的な願いや希望(考え)がほんの少しデザインに立ち入ることがある。
僕はよく、ラスコー洞窟壁画を思い出す。

洞窟の側面と天井面(つまり洞窟の上半部一帯)には、数百の馬・山羊・羊・野牛・鹿・かもしか・人間・幾何学模様の彩画、刻線画、顔料を吹き付けて刻印した人間の手形が500点もある。

これらはどうして描かれたのだろう…2万年前の僕らの祖先に思いを馳せる。絵を描くという行為は、美しいものを見たいという欲求が立ち現れ、絵を描くことで内側にあるモヤッとしたものを外側に具体化し、何らかの欲求を解消することだと思うのだが、その中には、願いや希望といった願望実限という要素があると僕は思う。
事実、僕が絵を描いていた二十歳代は、絵を描くことで、その時の夢や希望を叶える義式のような、祈りのような意味があった。

心の内にある見えないものを、カタチになぞらえる時、創造する側のフィルターを通ることになるのだから、絶対的にこちらの想いもカタチに現れるものだ。そしてそれはアイデンティティの一部となるはずだ。

だから、僕は(本質的な意味において)清く、正しく、美しいものの側にいたいと思う。そんな仕事の一助を担えたら本望だ。

Nidoのロゴを作ったとき、ふつう提案書には個人的な意見や感想、希望などを盛り込まないものだけど、この時は、僕の中にある『こうなってほしい』とか『こう見えてほしい』『こんな料理を供して、こんなお店になってほしい』といった個人的な気持ちを盛り込んでいます。本当はもっと客観的で理性的な理屈(説明)』を考えるところだけど..。でも、時には『気持ち』に従うのはとても本質的だし誠実なことではないかと思う。

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