2016. 05. 19. Thu.
今年の三月、寸時舎に行った。前崎君に手焼きの珈琲焙煎を指南したくて(どういう訳か、彼にはいろいろと教えたくなる)。すると前崎君が寸時舎でやるのはどうだろう。父にも紹介したい。と言うわけで寸時舎で父上の鼎之さんにお会いできた。
寸時舎は鼎之さんが手作りで建てた小さな山小屋である。丈夫に出来ており、佇まいも申し分ない立派な小屋だった。前には子どもが走りまわるのに十分な庭があり奥は山の木々が過ごしやすい木陰を作っている。その庭で、焙煎の仕方と考え方を伝え、煎ったばかりの珈琲と歩美さんのお手製のお菓子を皆で愉しんだ。
鼎之さんは書家で、福岡書芸院という教室を主宰している。
「小学校の壁に貼られた同じ言葉の同じような顔の書はどうでしょう。心を閉ざしてしまっています。あれを見ると私は悲しくなります。書を通して一人ひとりの顔が見たい。そして顔の奥に潜む秘密のことなどを感じたりすると、とても嬉しくなります。自分の言葉を自分の手で書いてこそ書だといえましょう。拙い言葉を精一杯の字で書いてこそ、輝きが生まれるのではないでしょうか」。
これは冊子「日常(前崎鼎之、川口義典共著」)「じゆうであることのまなび」の中の一節で、僕がブログを再開しようと考えたことと少し似ている気がした。自分の頭の中にある事柄をちゃんとした日本語を使って言葉にしよう。SNSで刹那的に言葉を使っていては考えが浅くなる、と常々感じていたからだ。



