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THE CATCHER IN THE RYE

2014. 06. 16. Mon.

J.D.サリンジャーの未発表五作品が彼の遺言で、二〇一五年〜二〇二〇年の間に出版されることが伝えられている。
気になるタイトルは、「ライ麦畑でつかまえて」の主人公、ホールデン・コールフィールドのその後を描いた作品や、「フラニーとゾーイー」に登場するグラース一家に関する新たな物語が含まれるようである。映画監督、シェーン・サレルノが一〇年の歳月と私財二〇〇万ドル(約二億円)を費やし制作、アメリカで公開されたドキュメンタリー映画『Salinger』と、監督が執筆に加わったというサリンジャーの伝記本の中で明らかにされた。
J.D.サリンジャーの作品に出会ったのは、高校三年生の卒業間際のことだった。

図書館にピカソの「FAUNSKOPF」という牧神を描いたリトグラフが表紙にあしらっていた。思わず手にとってパラパラとページを捲ったのが「ライ麦畑でつかまえて」(白水Uブックス)で、実際に読み始めると、主人公の語り口にどんどん引き込まれてしまって、卒業前の一ヶ月は四六時中「ライ麦畑」を読んで過ごした。将来が見えない彼と僕の境遇を重ね合わせて読む部分もあり、かなり夢中で読んだのを今でも覚えている。
この作品には幾つか印象的なシーンがある。特に心に残っているのは物語の最後。妹のフィービーが回転木馬に乗っているのを雨に打たれながら眺めていたホールデン・コールフィールドが「突然、幸福な気持になった」という下りである。

・・・「本当のことを言うと大声で叫びたいくらいだったな。それほど幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回り続けている姿が、無性にきれいに見えただけだ。まったく、あれは君にも見せたかったよ。」・・・
まるで友達みたいに語りかけてくる。
それから・・・順番が前後するのだけれど・・・、厭世的なホールデンに対してフィービーが「何か一つでも好きなものを言ってみて」と詰問する場面で、ホールデンは、この小説のタイトルにもなっている「ライ麦畑のつかまえ役」について話すエピソードがある。彼は言う。広いライ麦畑があって何千という子どもたちがそこでゲームをしているところが見えている。大人はホールデン一人。崖っぷちにいてゲームに夢中になった子供たちが崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえる仕事をしたいと話す。
・・・「一日中、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるけどさ」。・・・

物語の詳細や解説は白水Uブックスの本書と野崎孝の「あとがき」に任せるとして、この「ライ麦畑のつかまえ役」は本当に馬鹿げた話なんだろうかと僕は事ある毎に考えてしまう。
このエピソードで見逃してはいけない点は、如何に人間が既成概念に囚われている生きものなのかという事実である。既成概念(固定観念と言い換えても良い)は、何百年という長い時間を掛けて路に刻まれた轍のようなもので、誰かがたまたまとった行動が、それを繰り返すうちに習慣となり、その行動をとる方が良い、その行動をとることが当たり前のように感じ、やがて、その行動をとらなければいけないと決めてしまい、そのように行動できないのはいけないことと思うようになったという構造を持っている。つまり固定観念(=既成概念)は「偶然→習慣→常識→規律→拘束」というプロセスを経て生まれたのである。
ホールデン・コールフィールドは固定観念の世界で抗いながら「ライ麦畑のつかまえ役」を夢想しつつ、自らも「馬鹿げてることは知ってるけどさ」と言って自己規制してしまっている。
しかし、これは何も彼だけに限らない。僕らも知らないうちにホールデン・コールフィールドと同じように固定観念(=既成概念)と自己規制を受け入れてしまってはいないだろうか?
そんなときに思い出すのが夏目漱石の「三四郎」である。物語の前段、熊本から上京する列車の中で三四郎が乗客と交わす会話がある。

・・・「然しこれからは日本も段々発展するでしょう」と〔三四郎は日本を〕弁護した。すると、かの男は、すましたもので、「亡びるね」と云った。熊本でこんなことを口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だからことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙ってしまった。すると男が、こう云った。「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より・・・」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。「囚われちゃ駄目だ。いくら日本の為を思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った。・・・
己の本質に立ち戻れる場所は己の頭の中だけである。

例え、今やろうとしていることがどんなに馬鹿げていても、他人が作った轍の中だけで考えてはいけない。「一人光る みな光る 何も彼も光る」(どんなことでもまず一人が行う。それを続けていくといつのまにか皆も行うようになる)。陶芸家で民藝運動にも熱心だった河井寛次郎の言葉である。轍は自分が作ればいい。河井は続ける。「この世は自分を探しに来たところ、この世は自分を見に来たところ」だと。

<余談>
二〇代に映画「フィールド・オブ・ドリームス」の原作を読んだことがある。原作の世界観は映画にも良く反映されていて好きだった。映画に登場した隠遁生活を送る黒人作家テレンス・マンのモデルは、J・D・サリンジャーで、原作では実名で登場する。

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